おはようございます!
今日は近所のパン屋さんで朝活開始です!
朝目覚ましが鳴った時は「眠い」「サボろうかな」なんて思うけど、起き上がって顔洗った時には目覚めているというのはあるあるですよね。
なぜなんでしょうか?
暇な時に本気で考えてみたい。
ということで本日の記録を書いていきます。
今日の目標
- 群論の理解を深める
- 仕事をスケジュール通りに進める
- 起業準備を進める
今日やること
- 群論の演習問題を1章分解く
- 群論の記事を1本書く
- 仕事
- 開発中サービスのターゲット候補の洗い出し
- 事業関係者と連携
- 一緒に起業する友人とのミーティング
学んだこと・気づいたこと・考えたこと
今日の学び、気づきは今読んでいる本「暇と退屈の倫理学」を読んでの感想を書きたい。
ちなみに詳しい感想などについては別途記事にしたい。
ここでは今日考えたことを書く。
この本の第1章でラッセルの考え方を解説しており、
退屈している人が求めているのは今日を昨日と区別してくれる事件である。
事件は今日を昨日と区別してくれさえすればいい。事件の内容はどうでもよいことになる。
...
したがって最終的に次のように述べられることになる。「ひと言で言えば、退屈の反対は快楽ではなく、興奮である」
...
退屈している人間がもとめているのは楽しいことではなくて、興奮できることなのである。
このように述べられている箇所がある。
ここで疑問を感じた。
「今日を昨日と区別してくれる内容はどうでもいい事件」を言葉にするなら「興奮」ではなく「変化」ではないだろうか。
つまり、この論理からは退屈している人がもとめているのは「変化」と結論づけられるのではないだろうか。
確かに「事件」という言葉に暗に「ただごとではないこと」という要素を含んでいるようにも感じる。
その要素をくみとり「興奮」とするのは合点がいく気もする。
しかし、「ただごと」ばかりで退屈をしている人が「ただごとでないこと」を求めるのは当然のように感じモヤモヤする。
と思っていたが、以下のように思い解消した。
退屈している人が求めているのは「変化」と「事件」である。
つまり「今日を昨日と区別してくれる内容はどうでもいい事件」とは2つの要素を含んでいる。
「今日を昨日と区別してくれること」、「内容はどうでもいい事件」
前者はまさに「変化」である。しかし後者の要素も含まれる必要がある。
それを同時に含むものが「興奮」であるというのは納得のいく話だ。
また、「退屈している人」と「「ただごと」ばかりで退屈している人」は同値ではないかもしれない。
仮に同値だとしても、明確に表現されていることには意味がある。
このように考えて、ラッセルの論理および筆者の主張は理解できた。
反省点
友人とのミーティングで関係ない話を結構してしまい、群論の演習、ターゲット候補の洗い出しの時間が取れなかった。
良かったこと
仕事でスケジュール通り以上に進めることができた。
明日の目標
- 群論の理解を深める
- 仕事をスケジュール通りに進める
- 起業準備を進める
明日やること
- 群論の演習問題を1章分解く
- 仕事
- 開発中サービスのターゲット候補の洗い出し
- 事業関係者と連携